――――  登場人物  ―――――――――――――――――――――――――――― 

    タカオ 皇女。第一皇位継承権を持つ。

    ヨシノ 皇女。タカオの妹。第二皇位継承権を持つ。 

    佐藤    首相のような人

    鈴木    若い秘書のような人

    高橋    有識者のような人(ロリコン)

    田中    中学生のような人

    渡辺    警官のような人

    伊藤    有識者のような人(セクシー)

    山本    有識者のような人(学級委員)

    中村    一般人(男)

    斉藤    侍女のような人

    小林    一般人(女)

    加藤    老僕/老婆 
 
 
 
 
 
 

――――  概 要  ――――――――――――――――――――――――――――― 

 
 
 
 
 
 
 

――――  *  ――――――――――――――――――――――――――――――― 
 
 

    舞台中央に丸い盆。そこには皇女たちが立つ。

    盆の周りに椅子。人々が座る。

    遠くから音楽。モーリス・ラヴェルの BORELO 徐々に大きくなる。

    やがて爆発音。

    静寂。

    明転。 

佐藤 飛行機は

斉藤 無事到着したそうです

佐藤 到着した?

斉藤 ええ。何か問題が?

佐藤 じゃあ、あれは夢でしたか

斉藤 は?

佐藤 夢でしたか。よかった。ひどい、ひどい、近年一番の悪夢でした。幼い時母親に、もう永遠にカツカレーは作ってやらないと宣告された、あの夢以来のひどさだ

斉藤 現実ですよ

佐藤 現実ではないのです。現実で言われてもおかしくないことではありますが、ですが母はその後もカツカレーを作り続けたのですから

斉藤 現実ですよ

佐藤 ……では、その後私の食べた何百食ものカツカレーは

斉藤 それも現実です。皇帝が亡くなられました

佐藤 亡くなった?

斉藤 亡くなられました。海に沈まれました。佐藤さん。崩御されました。ご搭乗されていた航空機が熱帯性の乱気流に巻き込まれ、速度計・高度計・方向指示器に異常が発生、数秒ののち、主系統および補助系統の航空制御装置がブラックアウト。そのまま海へと散りました

佐藤 しかし、今しがたあなたは飛行機が無事到着したと――

斉藤 到着しました。水平線から高い高い弧を描いて、六時間の飛行ののちこの地に舞い降りました

佐藤 飛んだ?

斉藤 高く、飛びました

佐藤 しかし皇帝は――

斉藤 亡くなられました

佐藤 亡くなった

斉藤 亡くなられました。飛んだのは、タカオ様です、佐藤さん

佐藤 タカオ様

斉藤 お気を確かに、佐藤さん。今から四十五分後、タカオ様は月宮殿(がっくうでん)に到着されます。お迎えにあがられたヨシノ様もご一緒です。あなたはタカオ様をお迎えするのですよ、佐藤さん。(加藤に)留学先の学校に書類と礼状を

加藤 提出しました

斉藤 結構。ではこちらの学校への転校の手続きを。万に一つも粗相のないように

佐藤 私は陛下を、心から尊敬しておりました

斉藤 心中お察しします

佐藤 本当にわかりますか

斉藤 タカオ様はいまは亡き皇帝陛下の一番目の孫、この国を支えるべき皇女殿下で顕されます

佐藤 だから?

斉藤 万に一つも粗相のないように……お願いします 

    ファンファーレ。タカオの帰還。

     タカオを迎えるヨシノ。笑いあう二人。

     直接、あるいはテレビかパソコン越しにそれを見つめる人々。 

佐藤 タカオ様か

山本 まだお若い

小林 かわいい

高橋 美しくなられた

渡辺 あの方が皇帝になる

佐藤 現状では、皇太子であるわけでもない

加藤 皇帝陛下は身罷られた

山本 皇帝になるには、幼すぎる

高橋 皇帝となるには、美しすぎる

小林 皇帝に全然似てない

渡辺 タカオ様だ

佐藤 タカオ様

加藤 お隣にあらされる、妹君のヨシノ様 

    タカオとヨシノ、手をつないで寄り添っている。

    人々はそれを見つめている。やがてそれに飽きた小林が中村に話しかける。 

小林 ツタヤ行こ

中村 なんか見たいのあんの

小林 テレビつまんない、こればっかり。ゲーム借りようよ

中村 俺、DVD見たいわ。○○の

小林 なにそれ。知らない

中村 (皇女たちを見て)死んだんだよな

小林 もう飽きちゃったよ。飛行機事故

中村 死ぬんだなぁ

小林 なんか陰謀の匂いがするよねー 

    中村と小林、立ち上がって出て行く。 

斉藤 皇女様方はこれより皇帝陛下の弟君でいらっしゃる、ニノツギ様、サンノツギ様、シトゴノツギ様とご面会あそばします。続いて明日より二ヶ月に渡ります皇帝大葬の式典、ご進行の説明と、火葬の儀、埋葬の儀、ご祈祷の儀、それぞれの所作のご演習。佐藤さんとの謁見はその後にお時間十分ほどお取りしてあります。お二方ともお疲れでしょうから、早めに切り上げていただけると助かります

佐藤 皇女様方の記者会見なんかは

斉藤 タカオ様の体調を考えまして、後日に

佐藤 次期皇帝の発表は

斉藤 それも後日に

佐藤 次期皇帝は

斉藤 タカオ様です 

加藤 なにもかも、あの頃のままです

ヨシノ ええ

タカオ なにもかも、あの頃のままです

鈴木 そうなんですか

加藤 家具はもちろん、調度品や小物の数々、窓から見える庭の風景まで。陛下がお二人と過された、あの頃のまま

ヨシノ ひさしぶりです、ここは

タカオ ずいぶんひさしぶりですけど、ここは

鈴木 陛下がお住まいだったんですよね、日宮殿(にっくうでん)の改修工事の間

加藤 もう三年も前のことになりますか

ヨシノ そうね

タカオ そうです。わたしたちの幼い頃

鈴木 ずっと誰も住んでいなかったなんて思えませんわ。お掃除が行き届いているだけでなくて、いい意味で生活感みたいなものがあって

加藤 三年間欠かさず、週に一度は訪れるようにしておりました

ヨシノ (同時に)あそこ、蜘蛛の巣

タカオ (同時に)あそこ、蜘蛛の巣

鈴木 あ!失礼しました。生活感って、そういう意味じゃ……。すぐ取りますから!

加藤 すべて陛下の御意のままに

ヨシノ ほんとうに、あの頃のまま

タカオ 懐かしい……

鈴木 失礼しました!一体どこから入ったんでしょう。即刻撤去を――

タカオ 蜘蛛は、お婆さまがお好きでした

鈴木 え?

タカオ お婆さまは他のご兄弟と離れてお暮らしでしたから、幼い頃は自分の部屋で蜘蛛を集めて遊んだと、お話してくださった。いいお友だちだったと。お婆さまは結して蜘蛛の巣を掃おうとはされなかった

鈴木 陛下が……。すみません。私、ますますとんでもないことを

加藤 私には、この蜘蛛が陛下のお優しさを育んだのだと思われてなりません

ヨシノ 悲しそうね

タカオ 悲しそうね、鈴木さん

鈴木 え?いえ、悲しくは……。私はただ、あの、申し訳なくて

加藤 どうして悲しくないことがございましょう。陛下亡きこの世で、この老体の希望はタカオ様とヨシノ様、お二人だけでございます

ヨシノ (同時に)はらって

タカオ (同時に)はらって

鈴木 はい。……はい?

加藤 (愕然と)なんとおっしゃられました?

ヨシノ (同時に)蜘蛛の巣をはらって。わたしはあんなものは嫌い

タカオ (同時に)蜘蛛の巣をはらって。わたしはあんなものは嫌い

鈴木 はあ。でも、いいのですか?蜘蛛は、陛下が――

加藤 それを私にお命じになるのですか

ヨシノ (同時に)蜘蛛を集めて、焼き殺しておしまい。目障りなのよ。どんな隙間からも入り込んでくる

タカオ (同時に)蜘蛛を集めて、焼き殺しておしまい。目障りなのよ。どんな隙間からも入り込んでくる

鈴木 わかりました。あの、御意のままに 

    鈴木、早足で去る。 

加藤 皇帝陛下は皇女様がたとお話した日々を、それは大事にされておいででした

ヨシノ (同時に)蜘蛛をころして

タカオ (同時に)蜘蛛をころして

加藤 しかし!(思いついて)そう、お姉様はなんとおっしゃられるでしょうか。タカオ様は。タカオ様のご意見も聞いてみないことには――

ヨシノ タカオもきっと同じように言うわ 

    タカオ、ヨシノと加藤の近くに姿を現す。 

タカオ 蜘蛛をころして 

    盆の上にタカオとヨシノ。盆の下、佐藤が二人に挨拶をしている。 

佐藤 畏(おそれおお)くも皇女様方に有らされましては、このたび皇帝が……崩御あそばしましたことにより、ご心痛耐えざるものと存じます

タカオ・ヨシノ ……

佐藤 タカオ様には初めてお目にかかります。佐藤と申します。今後ご拝謁の機会も増えましょうから、どうかご記憶くださるよう――

タカオ 知っています

佐藤 ……は?

タカオ 存じておりますわ。佐藤さん。国の枢を知らずして、どうして皇女がつとまりましょうか。佐藤さん

佐藤 失礼しました

ヨシノ いいえ

佐藤 (返事がヨシノからきたことに戸惑って)

タカオ 佐藤さん。皇帝の信頼がとても厚かった佐藤さん。そうですわね?皇帝陛下の事故に際しても、佐藤さんが冷静に対処されたおかげで人々の混乱や自死や暴動が未然に食い止められたとか

佐藤 そんな、大げさな

ヨシノ このたび皇帝の大葬が無事行われるのも、すべて佐藤さんの力あってのことと聞き及んでいます。すばらしいですわね

佐藤 誰でしょうか、皇女様方にそのようなことを述べたのは――

タカオ・ヨシノ お前が新しいいいひと?

佐藤 ……は?

タカオ・ヨシノ 新しい、いいひと? 

    タカオ、ヨシノ、佐藤をじっと見詰める。 

タカオ わからないみたいですね

ヨシノ 当然そうなるでしょうね

タカオ それでも、答えて欲しいのです、お前

ヨシノ 答えられませんか、お前

佐藤 お前? 

    間。 

タカオ 嫌?

佐藤 いえ、とんでもない!

ヨシノ 嫌なのですね?お前? 

    二人、笑い出す。

    佐藤、皇女たちにかすかに怒りを覚える。 

タカオ お前、これからいいひととなる、わたしたちの佐藤さん。この呼ばれ方が気に入りませんか?

佐藤 お戯れはそのくらいになさってください

ヨシノ 戯れ?わたしたちがふざけている?それこそふざけていますわ、佐藤さん

タカオ わたしたちは真面目なのですよ。それも大真面目

ヨシノ 真面目にお前をお前と呼んでいるのですよ、佐藤さん

佐藤 私はお二人がお腹立ちになるようなことを申したのでしょうか

タカオ ちがいますわ、お前

ヨシノ お前にはきっと不遜に聞えるのでしょうけど

佐藤 とんでもない。そんな皇女様方に――

タカオ しかし、これがわたしたちの辿りついた二人称の行方

ヨシノ (タカオに)お前

タカオ (ヨシノに)お前

佐藤 お前?

ヨシノ (佐藤に)お前、二人称はなにを使います?

佐藤 は?

タカオ 何と呼びます?目の前にいる人間を

佐藤 ……あなたと

ヨシノ あなた

タカオ お前は、わたしたちもその「あなた」を使えばいいと考えますか?

佐藤 少なくとも、皇帝陛下はそのようになさっておいででした

ヨシノ 陛下が

タカオ 前陛下ね

佐藤 いま、なんと?

ヨシノ 佐藤さん、あなたとはどんな字を書きますか?

佐藤 貴い方と――申し訳ありません。私などが皇女様に呼ばれるには、相応しくない言葉でございました

タカオ ちがいますよ、お前

ヨシノ 辞書を引けば出ていますよ。「あなた」とは元々彼方と書かれていた言葉なのだそうです

佐藤 彼方

タカオ ええ。(遠くを指して)彼方です

ヨシノ あんなに遠くにいる人

タカオ あんなに遠くを指す言葉

タカオ・ヨシノ 二人称には使えません 

    佐藤、二人に断言され、困惑する。 

ヨシノ 他にはなにが思いつきます?

佐藤 え?

タカオ 二人称を表す言葉

佐藤 ……では、皇女様方がお使いになるのなら、「そなた」とか

ヨシノ 「そなた」。(指差して)そちらの方という意味ですね

タカオ まだ遠いわ

佐藤 「こなた」とか

ヨシノ (指差して)こちらの方

タカオ だいぶ近づいた

ヨシノ (タカオに)でも古臭い

佐藤 では、「君」

タカオ・ヨシノ それは皇帝のことでしょう? 

    間。 

佐藤 (慌てて)申し訳ございません

タカオ 二人称で使う人もいるというのは、知っています

ヨシノ 世間的には呼ばれるらしいですね。でもわたしたちは

佐藤 申し訳ございません!

タカオ 他には?思いつきますか?

佐藤 は?

ヨシノ 貴様、汝、お主、てめえ、あるじ、そもじ。どれもしっくりこなくて

タカオ 敬うことも見下すこともなく、確実にこの前にいるこの人を指す言葉が欲しくて

ヨシノ それでわたしたちは選んだんです。「お前」

佐藤 「お前」

タカオ 目の前にいるお前だけを紛うことなく呼ぶ言葉です

タカオ・ヨシノ 「お前」 

    タカオとヨシノ、小鳥のように笑いあう。 

    盆の下。侍従の働く場所。斉藤がいる。 

斉藤 お茶、飲まれます?

佐藤 ああ、ありがとう

斉藤 ご自分でどうぞ。お茶葉そこです

佐藤 ……ああ 

    佐藤、お茶を入れる。 

斉藤 時間通りで大変結構でした

佐藤 ……皇女様方はいつもああなんですか

斉藤 ああと言いますと

佐藤 だから、あなたも「お前」と呼ばれますか

斉藤 ……

佐藤 あの、つまりですね――

斉藤 お前と同じです

佐藤 あ?ああ

斉藤 ええ

佐藤 同じですか

斉藤 はい 

      盆の上。佐藤の回想。皇女たちと佐藤。 

ヨシノ 普段はどのように呼ばれていますか

佐藤 私ですか。佐藤と

タカオ いえ。ご家庭で

佐藤 「あんた」と

ヨシノ まあ、くだけているんですね

タカオ あなたのくだけた呼びかたですね

佐藤 それから、お父さんと

ヨシノ お子さん、おいくつですか

佐藤 十三か、十四に――

タカオ お誕生日は?

佐藤 五月の……

ヨシノ 忘れましたか

佐藤 いえ。五月のまんなかあたりで

タカオ 忘れましたね

佐藤 忘れました。申し訳ありません

ヨシノ わたしたちは構いませんよ

タカオ ですが、皇女に仕える者に家庭を省みる時間がないことは問題ですね

ヨシノ 民に示しがつきませんね

タカオ 忙しすぎるのかもしれませんね

ヨシノ そうね。今日はもうお帰りなさい

佐藤 は?

タカオ お帰りなさい。いいひと 

      回想終了。盆の下。 

佐藤 あの

斉藤 なんですか

佐藤 あれも呼ばれますか、あの、「いいひと」と 

    斉藤、沈黙。 

佐藤 あの 

    斉藤、沈黙。 

佐藤 あの

斉藤 皇女様方とはどのようなお話を?

佐藤 いえ、別に普通に話を!

斉藤 「いいひと」とは主に「恋人?それはない」という意味ですよね

佐藤 いえ、どちらかというと皇女様方は、自分たちとよい関係にある人というか、「私のいいひと」といった感じでお使いに―― 

      斉藤、軽蔑したように佐藤を見る。 

佐藤 誤解しないで下さい!皇女様方が勝手に!いえ、自主的に私を「いいひと」とお呼びになったのであって、私は何も――

斉藤 そのお話は、わかりません

佐藤 まあ、そうでしょうけど――

斉藤 皇女様方と佐藤さんの間に何があったか、わかりません

佐藤 誤解です!

斉藤 安心してください。佐藤さんがなさったことを、私は知りませんし、知ろうともしませんし、知りたくもありません。時間通りでしたら問題はありませんから 

    斉藤、足早に去る。

    佐藤の傍にはいつしか加藤が立っている。 

佐藤 皇女様方は、一体いままでどのようなご教育を受けていらっしゃったのですか

加藤 皇帝陛下は日宮殿に移られるまで、週に一度はお二人をお呼びになりご歓談の時間を設けておいででし

佐藤 それくらい知ってます。だから私は、少しは期待してもいいものかと……

加藤 皇帝陛下は、お二人の母親にあたる方を手元に失くされてからは、その方にされるはずだっお話も、お二人に――

佐藤 その結果がこれか?

加藤 (震えている)皇帝陛下は、皇女様方がお越しになったと聞くと、私に「でかした」とでもいうような、そういう微笑をお向けになった

佐藤 私を玩具にして遊んでいた!

加藤 皇帝陛下は、いつもあなたと同じお役目の方をよい方だとおっしゃられていた

佐藤 ……は?

加藤 (震えが大きくなる)皇帝陛下が、灰になる 

小林 かわいそうに

中村 いくつなんだっけ、この子たち

小林 かわいそう。まだ中学生か、高校生

中村 上の子、留学してたんだよね

小林 この間、帰ってきてた

中村 ふーん

小林 かわいそう

渡辺 かわいそうだ。まだ子どもなのに

鈴木 タカオ様、かわいいなぁ

田中 僕とそう年も変わらないのに

山本 この子が皇帝になるのか

小林 かわいそう

中村 ……

鈴木 かわいい、ワンピース

渡辺 つまり、おばーちゃんが死んじゃったんだよ

斉藤 事故で

佐藤 本当に?

田中 ああ、また泣いてる

高橋 歴史に残る

鈴木 喪服か、これ

伊藤 カメラ、こっちの子ばっかり写してる

山本 どうなんだろうね、こんな子どもで

高橋 皇帝になる。すばらしい

佐藤 本当に

中村 いつなんの、皇帝

田中 ずっと泣いてる

小林 知らないよ、そんなの

斉藤 皇位の第一継承権はタカオ様にあります

伊藤 仕方ないわよね。この子の方が

中村 かわいい

小林 ええ?

渡辺 かわいそうだ

加藤 皇帝はもうもどらない

佐藤 本当に?

鈴木 ヨシノ様、やっぱ皇帝に似てるー

中村 かわいいじゃん。上の子、普通に

小林 そういうことしか見えないわけ?

田中 まだ泣いてる……

渡辺 おばーちゃん、好きだったんだなぁ

伊藤 母親がいないのよね

高橋 この子が皇帝になる。タカオ様が

山本 大丈夫なの

中村 別に興味ないけど

高橋 歴史に残る。場合によっては。今世紀の記憶されるべき一瞬に! 

    皇女たち、泣き伏せていた顔を上げて、よこしまに笑う。 

      盆の下。佐藤が机に向かっている。 

鈴木 お疲れ様です 

    鈴木、佐藤にお茶を出す。 

佐藤 ああ

鈴木 顔色、悪いですよ。ダメです、休憩とらなきゃ

佐藤 あと少しだったから

鈴木 どこか調子が悪いとか、ないですか?

佐藤 二日徹夜するとつらい

鈴木 ちょっとは疲れを自覚してください

佐藤 優しいね

鈴木 茶化さないでください 

    鈴木、仕事に戻る。

    佐藤、仕事を続ける。傍らに亡霊のように加藤が立つ。 

加藤 陛下はですね、佐藤さん。あなたと同じお役目になった方を、みんな「よい方」だとおっしゃるようにされていました。だからそれは、真似ですよ。陛下の模倣です

佐藤 それは、皇帝への敬意からですか?それとも――

加藤 悪ふざけかも知れません。私にはわかりかねます

佐藤 加藤さん

加藤 呼び捨てで構いませんよ

佐藤 いえ、加藤さん。加藤さんの目から見て、タカオ様はどうなんでしょう。あの、皇帝として

加藤 (遠慮するように)そのようなこと。佐藤さんのご判断に任せます

佐藤 しかし、私はここでは異邦人もいいところで

加藤 ……「お前」という呼び方は、ここ二、三年、凝っていらっしゃるようですね

佐藤 そうなんですか

加藤 どちらの提案によるものかは定かではありません。タカオ様がご留学されてからでしたね。或る日突然ヨシノ様が「お前お前」と始められました。それをよく思わなかったお二人のお父様は「妹におかしな癖がついた」とタカオ様にご連絡なさったのですが、しかし国際電話の向こう側からタカオ様も同じように「お前お前」

佐藤 お二人のお父様はいまは何処に

加藤 影のようなお父様なら、火葬の儀にも付き添われていたはずですが

佐藤 ……。皇女様方は、とても仲がよろしいのですね

加藤 ええ。それはもう、双子のように 

    佐藤、休憩に入る。加藤の姿が消える。 

佐藤 鈴木さん

鈴木 はーいー

佐藤 鈴木さんっていくつだっけ

鈴木 え。二十五ですけど

佐藤 若いよね

鈴木 もう年ですよ

佐藤 若いよ。その若い感性に聞きたいんだけどさ。女の子って、女の子同士仲良くなると、格好とか、持ってるものとか、あと発言とか――

鈴木 似てくる?

佐藤 うん。そういうものかな。一緒にいると考えることも同じになっていく……なんだろう……頭の中が二人一緒になる……同化する、みたいに

鈴木 (もう)女の子って年じゃないんですよねぇ

佐藤 そう?

鈴木 そうですよ。(考えて)んー、人それぞれだと思いますよー。高校生くらいまでは見ましたけどそういうの。それこそ女の子だったときは、周りの子たち結構べたべたしてて、髪の色とか、メイクとか、ベストやリボンの色一緒にして、もう区別つかないみたいな

佐藤 鈴木さんはちがったんだ

鈴木 うーん。もう忘れました

佐藤 そっか

鈴木 どうしてそんなこと聞くんですか? 

    盆の上。佐藤と皇女たちとの謁見。 

タカオ 一人称?

佐藤 はい。ですからその、皇女様方は二人称に興味がおありのようですが、一人称についてはどうなのかと、思いまして

ヨシノ どうって?

佐藤 お聞きするところ、皇女様方は一人称に「わたし」をお使いのようですが、たとえば自分は子どものころは「僕」を使っておりましたし、いまでも家では「俺」を意識せず使っております

タカオ 変わるんですね

佐藤 変わります

ヨシノ なるほど

タカオ 一人称の行方

ヨシノ お前の言っていること、わかりますよ、いいひと

タカオ そうですね。何世紀か前でしたら、わたしたちは「自ら」を使っていたでしょうね

佐藤 「自ら」?

ヨシノ 自ら

タカオ ヨシノ様、自らにそこの玩具をとってくださいな

ヨシノ はい、タカオ様。自らがとってさしあげましょう 

    皇女たち、笑いあう。 

佐藤 タカオ様

タカオ はい

佐藤 法律に照らし合わせれば、帝位の第一継承権はタカオ様に有らされます

タカオ 知っています

佐藤 それではもう、そのおつもりですか

タカオ なにがでしょう?

佐藤 失礼を承知で申し上げます。もし明日よりタカオ様が皇帝ですとそう言われたとして、そのお心づもりがあるのかどうか――

タカオ 明日から皇帝ですか

佐藤 たとえですが

ヨシノ 急なんですね

佐藤 たとえです!

タカオ わかってますよ、お前。……明日ではなく今日この場で任命されることがあっても、わたしは眉一つ動かさず、にっこり微笑んで皇帝になりますよ

ヨシノ きっとそのようになりますね、お前(タカオ)

タカオ お前(ヨシノ)だってそうなるでしょうよ

ヨシノ そうですね。それなのにどうしていつまでもお前は皇帝にならないのでしょう

タカオ 次期皇帝の発表がなされないのでしょう

ヨシノ 不思議ですね

タカオ 不思議です 

    二人、佐藤を見る。 

佐藤 そのことに関しましては、その、皇女様方には不安に思われる向きもあるかとは存じますが、なにぶんことがおおごとですので議会も時期を計って――

タカオ 皆さん迷っているんですね、いいひと

ヨシノ タカオがまだ若いから

タカオ 成人まで待ったほうがいい、そう考える人が多くいるのですね。そうでしょう?

佐藤 多くはありません

ヨシノ そう?

佐藤 多くはないんです。ですが、ですが私は……迷っています

タカオ 正直ですね

ヨシノ いいひと 

    盆の下。人々の声、ざわめき。(加藤はここから老婆。) 

渡辺 あの子が皇帝になるんだろ?

伊藤 帝位継承権の第一保持者ですもの

小林 (中村に)かわいそうだったよね、お葬式でさ

中村 うん?

小林 大変だろうなぁ、皇帝なんて。まだ若いし、かわいいのに

中村 皇帝ってさ、大統領とどっちが偉いの

山本 いくら皇帝でも、学校にはちゃんと行かせないと

高橋 あんな美少女が皇帝なんて、なんてすばらしい国だろう。(田中に)なぁ

田中 かわいいです

高橋 そうだろそうだろ。タカオ様はかわいい!美しい!美しいものは正しいとソクラテスも言ってたじゃないか!

田中 いや、それは知りませんけど

斉藤 タカオ様ならいつ皇帝になっても立派な皇帝となられるでしょう

佐藤 そうなんですか

斉藤 お疑いですか。タカオ様のご器量を

佐藤 器量よしなのはわかってますよ

斉藤 器の方です

加藤 私はヨシノ様のほうが好きだねぇ

佐藤 測ろうとしたんです

斉藤 佐藤さん

佐藤 私ごときが僭越な行為だとわかっていますが、しかし皇帝は、皇帝というものは、だれにでも務まるようなそんな存在ではないはずだ!

斉藤 ……聞かなかったことにします、佐藤さん

加藤 ヨシノ様は皇帝陛下によく似ているよ

佐藤 タカオ様はまだお若い

高橋 (いつしか佐藤の傍に寄り添って)だからいいんじゃないか

佐藤 タカオ様の人気は高い

高橋 可愛いからな

佐藤 (高橋に)タカちゃん

高橋 サトちゃん、これはチャンスだよ君の愛した皇帝に再び光が当たるチャンスだ。人々は思い出すだろう、この国が誰のお蔭でなりたっているかを、誰が国民の心を束ねているかを、人柱である聖なるお方を、自分たちの信仰と皇帝の存在を!

佐藤 どうすればいいんだ、タカちゃん。どうすればそうなる

高橋 俺に任せろ、サトちゃん。人々が何を望んでいるか、俺にはわかるんだよ。一人で悩むな。友達じゃないか

佐藤 タカオ様が皇帝となるに相応しいお方だとは俺には思えないんだ。ヨシノ様もだ。あの二人はまるっきりおんなじだ。おんなじで、多分まだ子どもなんだ。だからあんなに笑うんだ。怪物みたいに。――あれは俺の息子とは違う!同じような年だけど、まるでちがうんだ、タカちゃん!

高橋 そりゃあそうだ。向こうは少女だ

佐藤 男女の差だけとは思えない

高橋 そりゃあそうだ。なんといってもタカオ様は美少女だ 

    高橋、佐藤に雑誌を投げる。 

高橋 人気なんだよ。サトちゃん、君が思っている以上にタカオ様は人気者だよ。月宮殿の外に双眼鏡を構えた奴らがたむろしているのは何のためだと思う?皇族ニュースの視聴率が上がり、若者の恋人にしたい女性ランキングに食い込み、ご留学中に隠し撮りされた写真が高額で売買されている。タカオ様が皇帝になれば国際的にも鼻が高い、そう思う人々は多いはずだ

佐藤 ……皇女殿下は芸能人じゃない

高橋 そんなのはどうでもいいんだ。俺がじゃない。国民が、だよ?ほっといたってみんながあの子を皇帝にする。(笑って)タカオ様が怪物だなんて、君はそうとう疲れてるんだ

佐藤 君って呼ばないでくれ

高橋 少し休んだら君の目も開くさ。仕事のしすぎだよ

佐藤 君って言うな……

加藤 あの子はほら、ずっとこの国にいたじゃないか。皇帝の後ろにね、ずうっといたよ。外国に行ってたタカオ様より親しみやすいよ 

    盆の上。タカオとヨシノが話している。(作者、森茉莉ごっこ中) 

タカオ 一番面白かったのはね、スーパーマーケット

ヨシノ マーケット?

タカオ ただのマーケットじゃないわ。スーパーマーケット。明るくて、音楽が流れていて、なんでもあるのよ。わたしは銀の籠を持って、赤いクランベリイのジュースを買ったわ。バタの香りのビスケットも、半ダァスの鉛筆も、先のねじれたマドラーも、マァブルみたいなきれいな石鹸も。会計の時がおもしろいのよ。店員がここにいてね、ここに四角い台があって、こう一つずつ品物を通すと、機械が「ピ」と鳴るの。台の真ん中に紅いランプがついて。あの縞々のバァコードを読み取るんだわ。「ピ」って。これで値段が出るの

ヨシノ ピ、ピ、ピね

タカオ 面白いでしょう?わたし、スーパーマーケットに行くといつも一つだけ品物を持って会計の台を通ったわ。そうしてまた店に入るの。また一つだけ品物を持つの。会計の台を通るの。それからまた店に入って、一つだけ品物を持つの。会計の台を通るの――

ヨシノ なん往復もしたのね、タカオ

タカオ そうよ。わたしはスーパーマーケットに行くといつもそうしていた

ヨシノ わたしもそうするわ、きっと。スーパーマーケットに行くことがあったら

タカオ お前もそうするわ、ヨシノ。スーパーマーケットに行くことがあったら 

    盆の下。斉藤と佐藤。 

斉藤 いつまでも迷っているわけには参りません

佐藤 わかっています。時間は守ります。そのつもりです。皇帝は死んで灰となった

斉藤 あとは土に埋められ、祈られる

佐藤 皇帝の大葬が終わるまでには、次期皇帝即位の式を 

    盆の下。有識者による話し合い。 

山本 十代半ばのタカオ様に果たして皇帝が務まりますか

高橋 もちろん学業優先です。皇帝といえども、タカオ様はまだまだ心身ともにご成長しなければならない時期ですからね

山本 ですから、それで皇帝のご公務を果たせるのかと言っているのです。書類に判子を押すだけが仕事じゃないでしょう?各地に慰問に行ったり、世界各国の王族とご親睦を深めたり、そういうことをするんでしょう?

高橋 細かいなぁ、山本さんは

山本 皇帝陛下のご兄弟が健在なんですから、タカオ様が大学を卒業するまでの間は、仮ということで皇帝の座を譲ればいいじゃないですか

高橋 そりゃないわ。あんなじーさんたち、国民だって興味ないって

山本 あんた、もっと真面目に物事を考えなさいよ!

高橋 へいへい

渡辺 あのー

高橋 はい。渡辺さん

渡辺 私はですね、タカオ様は皇帝になられるのですから、学校とかもういいと思うんですよ。勉強が必要なら家庭教師とか、そういうのでいいじゃないですか。それより大事なことがあるんだから

高橋 なるほど

山本 タカオ様のお年ですと、まだまだ集団の中で学ぶことがたくさんあります

渡辺 でも、世の中には中卒だって一杯いるんだから

山本 皇帝にはきちんとした学問と教養が必要です

渡辺 だからそんなの家庭教師でいいじゃない。俺、学校で教養なんて教わったことありません。それに皇帝がいる学校なんて、どれだけ警備すればいいんですか。お金いっぱいかかりますよ?

山本 だからってタカオ様から学校生活を取り上げるつもり?

高橋 はーい。ストップストップ。ヤマさん、熱くなりすぎ

山本 こいつ、話にならないんだけど!

高橋 そうかなー。中卒いいんじゃない?

山本 はあ?

高橋 だってさ、ヤマさん、学校なんて行って楽しかった?

山本 (一瞬ひるんで)楽しいとか楽しくないとか、そういう問題じゃないでしょう!

高橋 楽しくなかったでしょう。毎日毎日死ぬほど退屈、つまんねー奴ら、つまんねー授業、つまんねー制服に、存在の意味がわかんないあの学校行事とかいうやつ!唯一楽しそうな男女交際にはヤマさん縁なさそうだし

山本 私は女子校でした!

高橋 あーそう。あー……女子校はいいかもしれないね。融通の利きそうな私立の女子校

山本 は?

渡辺 ガードが厳しそうでいいですね。セキュリティがしっかりしていると、なおさらいい

高橋 だよね、ナベちゃん。徹底的に守っていただきたい

山本 あんたたち、何の話をしてんのよ

高橋 タカオ様の話ですよ。あんたの話はおしまい

田中 あの

高橋 はい、田中くん

田中 タカオ様は皇帝になるのですか

高橋 そりゃあそうでしょう

田中 そうではなくて、つまりご本人のやる気というか、お心積もりというか――

高橋 幼い頃から皇帝となるべく育てられたお方ですよ。馬鹿なことをきかないでくれ、田中くん 

    盆の上。佐藤と皇女たちの謁見。 

佐藤 率直に、ものを申してよろしいでしょうか

タカオ はい、佐藤さん

ヨシノ よろしくてよ、佐藤さん

佐藤 タカオ様に……お二人にお伺いします。皇帝になりたいとお思いですか

ヨシノ その質問には答える必要がありません

タカオ 皇帝を継ぐ、そんな大事を前に、わたしたちの意志など関係ありません

佐藤 しかし、お二人は幼い頃からずっと皇帝陛下から愛情を受けてこられた。お母様がご病気になられてからは特に、積極的にお二人をお傍に寄せていたと聞いております

タカオ その通りです。三年前、わたしを留学に出すまで

佐藤 だからこそ、私は安心していました。お二人に期待もしていました。陛下の薫陶あつき方々なら、たとえお若くても立派に皇帝としてご公務をなすことができると

ヨシノ できますわ

佐藤 何ができるのですか

タカオ 佐藤さん

佐藤 不遜であることはわかっています。今日この場を退出したら、即辞任となってもかまわない

ヨシノ 皇帝のようにできますわ

佐藤 (失笑)ヨシノ様には――

タカオ どちらが皇帝になっても同じことです

佐藤 あなた方は、またそんなことをおっしゃる 

    沈黙。 

タカオ あなたと言いましたね

佐藤 言いました。構わないでしょう。貴い方という意味ですから

ヨシノ 言ったでしょう、あなたとは彼方を意味していたと

佐藤 だから何なんですか。それでもいいです。彼方でも、何でも。あなた方は、事実遠い……

タカオ お前

佐藤 はい

ヨシノ お前はまだお婆さまにお仕えしているのですね

佐藤 ……陛下の御世に生まれ、お仕えできたことを、心から幸福に思っております

タカオ お婆さまは得がたい人を手に入れましたね

佐藤 とんでもない。私など

ヨシノ ですが皇帝を決めるのはお前ではない

佐藤 ……存じております

タカオ 皇帝を決めるものが何か、わかるか?お前

佐藤 それは……このたびに限ってはそのために議会を設け――

ヨシノ お前がのらりくらりとかわしているあの議会がなにか?

タカオ 皇帝の根拠となるものはなに?佐藤さん

佐藤 わかりきったことじゃないですか。血統が、血統の近さと速さが継承順位と――

ヨシノ 本当にそうかしら

佐藤 では、民衆ですか。新しい皇帝は政治家のように人民の支持によって決まると?

タカオ 誰がそんなことを言いました

佐藤 では、先代皇帝が?ひょっとしてご遺言があるのですか。すでに任命を済まされているのですか?

ヨシノ いいえ 

    二人、笑いあう。 

タカオ 皇帝を決めるのはこの天におわす方

ヨシノ あまねく全てのものたちをご覧の方

タカオ それが、皇帝をお命じになる

ヨシノ お前が皇帝だと、指をさされる 

    佐藤、困惑。 

佐藤 タカオ様、ヨシノ様。お二人の信仰の強さには、心打たれるばかりですが、しかし――

タカオ 先ほど、先代皇帝と言いましたね

佐藤 え?

ヨシノ 確かに聞きました。お前の中で皇帝はもう先代になったのですね

タカオ そしてお前は現存する皇帝に仕えるのが務め。佐藤さん、今の皇帝はだれなんでしょうね

ヨシノ 一番近いのはタカオでしたね

タカオ わたしたち、少し近づいたのかもしれませんね、佐藤さん 

    盆の下。斉藤、鈴木が仕事をしている。佐藤による皇帝の仕事について。 

佐藤 皇帝のお仕事は、朝早く、規則正しく起床なさることから始まります

斉藤 前日に晩餐会などがあり、お休みのお時間が遅くなられても、毎朝同じ時刻に起床されます。目覚められるとすぐにお散歩。これは健康のため、かなり早足で行われていました。次にご朝食。実に簡素なものです。その後は執務室へと移られます

佐藤 そこでは大量の書類が皇帝を待ち構えているわけです。皇帝はその一つ一つを真摯に読み込み、わからなければ専門家を呼び、講義を聞いて判断する。そして蝋を溶かして印を押す。印を押す。印を押す。印を押す。……印を押す。大変な激務です。目を通される書類は年間千件以上。それを様々な国事行事や祭事、他国賓客との接見、また他国への訪問を行いながらやるのです。皇帝となるお方は、なによりも健康でなければなりません。そしてなにより心が、心がよくなくてはなりません 

    伊藤が現れ、斉藤に挨拶をする。 

伊藤 これからタカオ様のお勉強を見させていただきます。伊藤と申します

斉藤 伺っております。時間は午後1時から4時までです。よろしくお願いします 

    伊藤、去る。 

佐藤 心。心だ。あの方には心があった。すべてを持てるものとして、人々に心をわけることができた。すべての優しい憐憫をあの方は備えていた。 

    伊藤、戻ってくる。 

伊藤 素晴らしい皇女様方ですわね

斉藤 伊藤さん、時間通りで大変結構でした

伊藤 大きなお心と充実した健やかさを感じました。お話して、こちらの心が洗われるようでしたわ。なにをお教えしても、とても素直に、はい、はいとおっしゃって。質問も余計なてらいがなく、学ぶことの楽しさを知っていらっしゃる

斉藤 編入にいたっての問題はなさそうですか

伊藤 ええ。ご留学先でのお勉強の成果でしょうね。外国語は素晴らしいものですし、他の教科もあのお年の平均的な生徒よりできると思います。それで、どちらの学校に編入なさるんですの? 

    佐藤、独白を続ける。 

佐藤 国民と言ったって他人です。その一人一人にどれだけ心を砕けるか、大切に思えるか、自分の一部と思えるか、骨を、命を惜しまずかわいがれるか。深く考えずとも、それが可能な心。それこそが皇帝の資質。羊のように愛される資質 

    斉藤、伊藤に学校パンフレットを渡す。 

伊藤 ヨシノ様とはちがいますのね

斉藤 同じように伝統のある学校です

伊藤 私の母校ですわ

斉藤 学力は高すぎず、かと言って低くもなく、現在のお住まいの月宮殿からも、皇帝となられてからお住まいになる日宮殿からもそう遠くなく、丁度よろしいかと 

    高橋が話に割り込んでくる。 

高橋 なによりセーラー服なんです

佐藤 ……は?

高橋 こう、世論を見ているとね、老年層はヨシノ様の味方なんですよ。老人にはああいう古風な顔立ちが可愛いんでしょうね。まあ、ですから、こちらは若年層にアッピールというわけです

斉藤 そのアピールの方法がセーラー服ですか

高橋 はい。もちろん 

    鈴木、話に参加する。 

鈴木 (面白がって)ほかにはなにがあるんですか

高橋 そうですね。アルバイトとかいいですね

斉藤 アルバイト

高橋 そうですよ。庶民的で。社会科見学ってやつです。いまならメイド喫茶かなぁ

佐藤 皇女がメイド喫茶で働くなんてできるわけないだろう

高橋 どうしてですか

佐藤 不謹慎すぎる

鈴木 皇女さまが「ご主人様」っていうんですか

高橋 あ、萌えるね、それ

佐藤 ふざけるな!

斉藤 問題がありますね

鈴木 あ、でもー、王女様をファーストフード店でアルバイトさせた国ってありましたよね。その王女様自身の希望で

佐藤 お前まで何を言い出すんだ

高橋 マクドナルドのカウンターでスマイルを売ってくれるとか。話題になりますよ

斉藤 人が詰めかけるでしょう。危険です

鈴木 (ときめいて)そこで身を呈してかばってくれたアルバイトの青年と恋に落ちるんですね。わかります!

斉藤 わかんねーよ

高橋 萌えますね

佐藤 萌えねーよ 

    盆の上。タカオ、何か小さなものを両手ですくってヨシノに見せる。 

タカオ 蜘蛛

ヨシノ 生きてるの

タカオ 生きてない

ヨシノ 油断しちゃ駄目よ

タカオ 声がする

ヨシノ 誰の声?

タカオ 佐藤さんの声

ヨシノ それから?

タカオ 鈴木さんの声かしらね

ヨシノ そう

タカオ (蜘蛛を持って)この子なら見てこられるかしらね

ヨシノ この子なら見てこられるでしょうね 

    二人、蜘蛛で戯れる。

    盆の下。佐藤と鈴木も戯れている。有識者の話し合い。(高橋、伊藤、山本、佐藤、鈴木、渡辺。) 

高橋 しかしですね、人気を取ろうと思えば清純派でしょう

伊藤 あら。それは男性目線の考え方ですわ。女性からの共感を得るためには不良性も必要です

高橋 不良性?そんなものになんの価値が?

山本 処女がいいんでしょう。あなたみたいな人は

高橋 だれがビッチを可愛がりますか

佐藤 私は結構好きかもしれない

伊藤 ビッチが?

山本 そんな呼び方やめてください

佐藤 永遠の憧れは峰不二子なんです

鈴木 清純派の奥さんもらってるくせに

渡辺 私も好きですよ。だらしのない女って好みなんです

山本 私はだらしない男なんて大嫌いです。なにがビッチですか。馬鹿馬鹿しい。だいたいおかしいじゃないですか。どうして女は不貞の一つや二つでビッチって呼ばれるのに、男は甲斐性ですむんですか

渡辺 俺は浮気なんかしません

伊藤 あら、ビッチ上等じゃないですか。私には褒め言葉にしか聞こえませんわ

高橋 (口笛) 

      盆の上。 

タカオ 明日ね

ヨシノ 明日ね

タカオ 人がやってくるわ、大勢

ヨシノ 日宮殿と月宮殿に

タカオ お掃除をしに

ヨシノ 草むしりをしに

タカオ 食器を磨きに

ヨシノ ドアノブを磨きに

タカオ ボランティアでね

ヨシノ ボランタリィでね

タカオ 好意ね

ヨシノ 好意的ね、みんな

タカオ 愛されているわね

ヨシノ 愛しているわね 

山本 そもそもね、仮にも皇帝になろうというお方に対して、こんな下世話な妄想をして、失礼じゃないですか

伊藤 下世話な妄想?これはマーケティングでしょう?より多くの人により多く愛されるように、女なら誰でもやっていることじゃない。(鈴木に)ねえ?

鈴木 はあ、マーケティング……

山本 あんたらみたいな女が一番腹立つ

高橋 伊藤さんは話がわかる

渡辺 真面目な話だったんですか

山本 十台半ばの子どもにセーラー服を着せて、それがマーケティング?

伊藤 たかが制服じゃありませんか。皇帝だって人気商売なんでしょう? (渡辺に)ねえ、どっちがいいかしら?セーラー服のタカオ様と、だっさいブレザーのタカオ様

渡辺 セーラー服のほうが一般受けするかと

山本 それはあんたの好みでしょう!

渡辺 (さも意外そうに)ちがいますよ!

高橋 ナベちゃんは世論を申し上げているんですよ

鈴木 でもタカオ様は十分かわいらしいのだし、そこまでしなくても人気は出ると思いますよ

伊藤 念には念よ

高橋 石橋は叩いてなんぼだよ、すーさん

鈴木 すーさん?

斉藤 鈴木さん、来月の体育祭、警備を強化する必要があります

鈴木 へ?

斉藤 体育祭です。タカオ様の学校の

高橋 それはそれは

鈴木 でも、あそこは生徒一人につき二枚のチケット制で、親御さんしか来られないはずですよ? 

伊藤 そのチケットがオークションに出されてるのよ

斉藤 高騰しています

鈴木 そんな。(斉藤に)どうしましょう

山本 馬鹿馬鹿しい

渡辺 当日警備、手伝いましょうか

鈴木 どうしよう。これからまだ文化祭も合唱祭もあるんですよ。それなのに

高橋 大丈夫。人が一番押しかけるのは体育祭だよ

鈴木 どうして

高橋 体操服

鈴木 え

山本 はあ?

伊藤 (微笑みながら)ほんとどうしょうもないわよね、男の人って

渡辺 俺はそんな趣味はありませんから!

高橋 他にはあるかなー、体操服。卓球大会や、陸上大会や、球技大会は――

鈴木 ありません、そんなの!……マラソン大会くらい

斉藤 それも注意した方がいいですね

渡辺 本当ですね

高橋 水泳大会は?ないの?

山本 あるわけないでしょう!

鈴木 みなさんちょっと、皇帝をなんだと思っているんですか!? 

    中村、自室でテレビを見るように会話を眺めている。 

斉藤 ……皇帝は皇帝です

渡辺 大切な方です。この国そのものと言ってもいい

中村 興味ないんだよ

高橋 僕たちの皇帝がなにか?

鈴木 ……さすがにもうちょっと敬意を払った方がいいんじゃないでしょうか

高橋 敬意

鈴木 自分が男の人たちにそういう視線でジロジロ見られてるって思ったら、普通の女の子だったら、嫌がりますよ

高橋 へえ

渡辺 ……

伊藤 笑ってしまえばいいのよ。「バカね」って。そうすればなんてことないわ

鈴木 十代の女の子なんですよ!?笑えません、傷つきますよ

伊藤 私はできたわよ?男ってほんと単純

高橋 すーさんは少女の頃にきっとそういうので辛い目にあったんだね

鈴木 あってません。勝手な想像はやめてください!

山本 女はみんな、男のそういう無遠慮さに腹を立てているんです!

鈴木 あなたと一緒にしないでください

中村 (雑誌をぱらぱらと開く)今週のグラビア、タカオ様か……

鈴木 やめて!! 

    沈黙。 

中村 普段、どんなもん食ってるんだろう……

高橋 すーさんはどうして欲しいの

鈴木 普通にしてほしいだけです。普通に、皇女様に敬意を

高橋 敬意くらい払ってるさ。僕は皇帝が大好きだった。尊敬してたよ。もちろん孫娘であるタカオ様も同じように大好きだ。だから僕はあの方々の素晴らしさを世の中に伝えたい。当然のことじゃないか

渡辺 自分もまったく同じ気持ちです

鈴木 でも、なんだか高橋さんたちは……、皆さんも……

高橋 僕に言わせれば、敬意が足りないのはすーさんの方だよ

鈴木 どうして私が?

高橋 すーさんはね、タカオ様に同情することによって、皇女を、この国の崇高な存在を、ただのそこらへんにいるつまらない女の子に貶めているんだ。これは不敬だよ。失礼じゃないか、皇女様に

鈴木 そんなつもりありません!

伊藤 「そんなつもりじゃなかった」じゃ遅いのよ

鈴木 だって女の子じゃないですか。皇女様だって、女の子です。女の子。そう思うことがいけないことなんですか?

高橋 皇帝はトイレへ行きますか?

鈴木 は?

高橋 ほら、考えてみなさいよ。便器に座っていきっている皇帝なんぞ想像できないでしょう。つまりだね、あの方々はウンコから切り離されている。もちろん我々の意識の中でだよ?排泄とか性交とか、ちゃんと鼻糞がたまるのかとか、怪我をしたらかさぶたができるのかとか、我々が人間として生きるうえでは当然のことがだ、あの方々ではうまく像を結ばない。っていうか、そんなこと考えちゃいけないんじゃない?みたいに思ってしまう。それもこれも、我々が皇帝を神秘のベールで包んでいるからだよ。我々の脳みそが勝手に、だけどまったく自然に、普通の人間と切り離してるんだ。それが畏敬だよ。きちんと人間扱いしないこと、それが敬意だ。ただの女の子だなんて、とんでもない

鈴木 ……だけど、私は、なんだかあの方々は、素晴らしいもので、素敵なもので、幸せになってほしいって願ってますし、それから見ているとなんだかいい気持ちになるっていうか、穏やかな気分になって、癒されるような――

伊藤 それじゃあペットと同じじゃない

鈴木 え

高橋 それはまずいよ、すーさん。皇帝は、アイドルだ 

    アイドルソングが流れる。タカオが踊り、人々は声援を投げる。 

    鈴木、目を覚ます。傍らには佐藤が寝ている。 

鈴木 夢を見ました。近年一番のひどい夢でした。幼い頃、もう二度と三つ編みは結ってやらないと母に言われた、あの時以来の悪夢でした 

    鈴木、立ち上がる。加藤が現れる。 

加藤 タカオ様に決まるのかねぇ

鈴木 おばあちゃん

加藤 本当に、いいのかねぇ

鈴木 タカオ様だと何か悪いことがあるの?

加藤 (言いしぶる)だってさ、私が言ったんじゃないよ、神田さんだ、神田さんが言ってたことなんだけどね

鈴木 神田さんが何を言ったの

加藤 だからね、あの子は本当の亭主の子どもじゃないんだろう?

鈴木 え?

加藤 神田さんが言うんだよ。一緒に逃げた相手との、愛人との間の娘なんだろう?

鈴木 ……ちょっと、おばあちゃん

加藤 みんな知ってるよ。みんなそう言ってる。神野さんも、神足さんも

鈴木 とんでもないこと言わないで。何を根拠にそんな――

加藤 だってみんながそう言うんだよ 

    人々、加藤と鈴木の周りで聞き耳を立てている。

    盆の上には、奉仕にやってきた田中が、箒を手にしたまま迷い込んでいる。

      タカオが現れる。 

タカオ どなた?

田中 え。(驚いて)ええ?

タカオ どなたでもいいわ。お話しません?

田中 え

タカオ 二人っきりで

田中 え

タカオ わたしの部屋で 

    盆の下。噂話。(斉藤、伊藤、加藤、山本、小林) 

斉藤 そもそもお二人のお母さまは

伊藤 お母さまは?

加藤 幼い頃から病弱で、あまりお顔をお見せにならなかった

山本 それでも皇太子でありました

小林 しかし逃げ出した

斉藤 廃嫡された

加藤 病気という名目で放り出したのです、その地位を

山本 逃げた

伊藤 男と

小林 恋人と逃げた 

    盆の上。タカオと田中。 

タカオ 来てくださって、ありがとう。うれしいです

田中 いえ……

タカオ お名前は?

田中 田中です

タカオ 田中さん

田中 日本で四番目に多い名字なんです

タカオ タカオです。名字は――

田中 存じております

タカオ わたしが誰だかご存知なのね 

    盆の下。噂話。中村の出奔。(高橋、鈴木、渡辺、中村。) 

高橋 それがあの二人の母親

鈴木 その血を引くお二方

渡辺 大丈夫なんでしょうか

中村 なにが?

渡辺 今はまだ幼いですが、お年頃になられたら

高橋 今こそまさに年頃じゃないですか

鈴木 あなたは黙っていてください

高橋 一番すばらしい時だ。わかりますか、少女という生き物がいるんです

鈴木 (タカオに向かって)こんな人の言うことを聞いちゃいけない!

高橋 どうしたの、すーさん

鈴木 気安く呼ばないで! 

    小林、泣きそうになって駆け込んでくる。 

小林 すーさん、どうしよう

鈴木 コバ?あんたどうしたの、突然――

小林 家帰ったらいないの。すーさん、あたしどうしよう。出て居っちゃった。いなくなっちゃった

鈴木 え?中村さんが? 

    盆の上。 

田中 皇女様って普通の言葉を話すんですね。でもなんかそれでも僕たちとは違いますね。オーラがありますよね、やっぱり。オーラっていっても威圧的とかじゃないんです。そんな風には思わないです。居心地がいいんです。なんか、癒し系って言うか、ちがうな、本当に病気とか怪我が治りそうな、そんなオーラっていうか

タカオ 座りませんの?

田中 え。あ、ああ

タカオ 立ったままではお疲れでしょう?

田中 はあ。じゃあ、失礼します(座る)

タカオ もっと近くに

田中 え

タカオ もっと近くよ 

    盆の下。噂話。(加藤、山本、斉藤、高橋、伊藤、渡辺。) 

加藤 タカオ様は違うんだよ

山本 タカオ様のお父様は

斉藤 タカオ様のお父様

渡辺 本当の父親とはちがう

伊藤 種違い

加藤 だからあんなに

渡辺 お美しい

山本 俳優であったとか

伊藤 あの方でしょう

斉藤 あの方だとお聞きしました

渡辺 でもそれだと

伊藤 それだと?

渡辺 いえ、いいんでしょうか

高橋 なにが

渡辺 ですから、愛人の子ってことでしょう

伊藤 それでも皇帝の血は引いてる

山本 ずっと前から囁かれていた話らしいですね

加藤 真実だよ。誰がそんな噂を流すもんか 

タカオ この手の中に何がいると思う?

田中 (タカオの手を見て)何かいるんですか

タカオ 蜘蛛

田中 ……蜘蛛がお好きなんですか

タカオ 嫌いよ

田中 よく触れますね

タカオ 触れなければ殺せないわ

田中 死んでるんですか?

タカオ ……どうでしょうね。賭けない?

田中 え?

タカオ この蜘蛛が生きているのか、死んでいるのか、賭けない?

田中 賭け、ですか

タカオ 掛けに負けたら、お前はここから出られない

田中 え

タカオ さあ、どちらに賭ける?

田中 あの本当に?タカオ様、これは本当に?本気で?

タカオ つまらないことは聞かないで

田中 じゃあ。じゃあこれだけです。あの、僕が掛けに勝ったら、どうなるんですか

タカオ お前が勝つことはないわ

田中 どうして

タカオ この蜘蛛を活かすも殺すも、わたし次第ですもの 

    タカオ、蜘蛛を握ったまま田中に近づく。田中に触れる。

    ヨシノが現れる。 

ヨシノ なにをしているの? 

    田中、あわてて身を引く。 

タカオ ヨシノ

ヨシノ その方はだあれ?タカオ 

    盆の下。 

渡辺 なんと言いました、いま

加藤 だからね、おかしいだろう?事故だなんて、皇帝が

山本 あまり想像で話さない方がいいですよ

加藤 想像なもんかい

伊藤 たしかに変よね。皇帝が乗る航空機よ?普通の五倍は点検をしてるでしょうに

加藤 ほおら。そんな子だから、外国なんかにやられるんだよ

渡辺 いや、国際性を身に着けることは皇帝として必要ですって――

山本 早いとは思いました。皇帝として土台を作る時期に……

渡辺 ええ?

山本 手元でしっかり育てた方がいいって、これは私の意見ですけど

加藤 手に負えないから、飛ばされたんだ

渡辺 だからと言って、でも、孫が自分のおばーちゃんを

加藤 なんでもやるよ。なんでもやるんだよ、生まれつきがよくないんだ。なんでもやる。怖い子だよ、あの娘は 

    盆の上。タカオ、田中を見つめている。 

タカオ (田中に)だれなんですか?お前

田中 (戸惑いながら)田中です

タカオ (ヨシノに)田中さんです

ヨシノ 田中さん

田中 あの、僕はなにか――

タカオ 田中さん、何のご用ですか?

田中 どうして……(続かない)

タカオ どうしてここにいるんですか?

田中 あなたが僕を呼んだんです!

タカオ あなた 

    間。 

ヨシノ お前はそう呼ぶんですね

田中 なんなんですか、あなた方は

タカオ ええ。お前にとってわたしは彼方(あなた)です。お下がりなさい、田中さん

田中 え?

タカオ はなれて

田中 どうして

タカオ おさがり。田中さん

ヨシノ 田中さん、おさがり 

    田中、盆の淵まで下がる。 

タカオ この部屋に迷い込んだ、お前を咎めだてはしない

ヨシノ ただお前、自らを知れ。ここはわれら皇女の住処

タカオ 人の入るところではない

ヨシノ ましてや若い男など

タカオ 踏み入るだけでも命が危うい

ヨシノ 訪れるのは蜘蛛ばかり

田中 あなた方は、人ではないのですか? 

    沈黙。

    皇女たち、冷たく田中を見ている。 

田中 タカオ様

タカオ ……

田中 あなたは、何をしたくて僕を呼んだんですか 

    タカオ、こぶしを広げる。手の中には何も居ない。

      田中、盆から降りる。 

ヨシノ ……さようなら、田中さん

タカオ さようなら。もしお前、ここで蜘蛛を見たら、どうか遠慮なくころして 

    田中が去る。 

ヨシノ タカオ

タカオ ……血、ではないように思うの

ヨシノ タカオ

タカオ でもやっぱりそうなのかしら。同じように育ってもダメなのかしら

ヨシノ タカオ。わたしもそうしたわ。お前のようにきれいだったら、わたしもそうした

タカオ ……ヨシノ

ヨシノ 奉仕活動の皆さんがお待ちよ、タカオ。ごあいさつに立つのはお前?それとも、わたし?

タカオ わたしが行く

ヨシノ そう

タカオ 今日は、わたしが 

    佐藤が駆け込んでくる。 

佐藤 失礼します!皇女様方!落ち着いてお聞きください

タカオ 寝癖がついてますよ、佐藤さん

ヨシノ 長く眠れましたか?佐藤さん

佐藤 寝坊しました。甘い夢を見ていました。しかし冷水を浴びさせられた!タカオ様――

タカオ 母のことでしょう?

佐藤 え 

    間。 

ヨシノ 母は皇帝になるのが嫌で逃げ出したわけではありません

タカオ 皇帝の家に生まれたのが嫌で逃げ出したわけではありません

ヨシノ 弱かったんです

タカオ 母にはとうてい耐えられなかったんです

ヨシノ 沢山の人の前に立って微笑む。これだけのことが苦しくて仕方なかったんです

タカオ 弱い人です

佐藤 ……いまはどちらにお住まいで?

ヨシノ 好きな人となんて逃げていません

タカオ 父のことも愛していました

ヨシノ いまはただひっそりと

タカオ ひっそりと、ひっそりと、

ヨシノ ひっそりと、 

佐藤 ですが、世論はひっくり返りました 

高橋 これ以上、タカオ様にこだわるべきではない

加藤 ああそうだ。そうだとも。あの方は、不倫の子だ

渡辺 この国の恥だ

山本 でもですね、まだ証拠も無いのに――

田中 そんなもの、隠されてるんだ

小林 かわいそう

鈴木 タカオ様……

加藤 不倫の子。道に外れた娘だよ、あれは

小林 好きな人がいたんだ

伊藤 恋愛は自由よ

小林 好きな人と一緒にいたい。好きな人とキスをしたい。好きな人とセックスをしたい。好きな人と、なるべくひっついて、おしゃべりをして、いちゃいちゃして――

渡辺 国を支えるべき人が、一時の感情で馬鹿げたことを

小林 皇帝の娘って、最悪

伊藤 女には好きな男を選ぶ権利があるって、ご老人はそう思いませんの?

加藤 思わないね。一切思わない。皇太子の座にあった方がすることじゃない

伊藤 新しい女性の生きかたよ。お認めになったら?

高橋 かわいいんだけどなー、タカオ様は

田中 その可愛い顔が罠なんですよ

山本 知ったように言いますね、あなた

田中 あの人はきっとお母さまに似ているんです。瓜二つです。男を惑わす、騙す、悪女です、あれは

高橋 田中くん。君、変わったね

田中 変わりました。僕は、俺は変わったんです。変わるのはそう難しいことじゃなかった。タカオ様は皇帝に相応しくない。タカオ様の中の淫らな血は、皇帝として残すべきではない! 

    盆の上。或る日のヨシノの奉仕ボランティアへのあいさつ。 

ヨシノ 本日はこの月宮殿でのご奉仕ご苦労様でした。皆さんのお心はまことに有りがたく、感謝しております。ここはわたくしの祖母が愛した宮殿です。また、わたくしにとっても幼い日々を祖母と共に過した、思い出深い場所です。この月宮殿を親しみ深く感じるのと同じように、わたくしは、ここをお掃除してくださった皆さんを、昔からの友人のように愛しく感じております。 

    盆の下。拍手。 

加藤 ヨシノ様

山本 しっかりしてますね

渡辺 見事な口上でした。大変頼もしい。それに――

伊藤 皇帝によく似た、あの姿

加藤 心が、心が美しいよ、ヨシノ様は

高橋 すっかり人気者だねぇ

田中 あの方も信用ならない

高橋 時代はヨシノ様みたいだよ、田中くん。美しくはない。そこはテンション下がる。だが少女だ。それにタカオ様より年下だ。一つ若い。若い!これは重要なことじゃないか?

渡辺 可愛らしいと思いますよ。素朴で親しみやすいじゃないですか。それに人格は申し分なくお優しいですし

加藤 恐ろしいたくらみとは無縁だ

山本 民に関心があるのはいいことですね

高橋 ヨシノ様なら応援するんだねぇ、ヤマさんは

山本 一般論です

高橋 はいはい

田中 ダメだ。あの二人はどちらも同じ。俺は知っています、みなさん。俺は知っている。この耳で聞いたんだ。あの二人は、俺たちのことなど何も考えていない!

渡辺 何言ってんだよ、田中くん

伊藤 じゃあだれならいいの

田中 だれ?

伊藤 あのお二人のほかに女性はいないのよ

田中 女性じゃないといけないんですか 

    間。 

高橋 (楽しそうに)問題発言だ

渡辺 言っていいことと悪いことがあるぞ、田中くん

田中 どうして女性なんですか。男ではいけないんですか。男女平等社会でしょうが。皇帝には弟宮様がいらっしゃる。今からでも男性の皇帝を認めれば――

高橋 あー、でも今までずっと女性でやってきたからねぇ

伊藤 女性で、女系でやってきましたものね。皇帝のお母さまは皇帝で、そのまたお母さまも皇帝。血統を辿れば一人の偉大なる母、皇帝の始祖、それこそ始皇帝にいきつきますわ

田中 それがなんですか

伊藤 伝統というものを重んじた方がいいわ

田中 歴代に何人か男性の皇帝もいたと聞いています

伊藤 「いらっしゃった」です。言葉にはお気をつけあそばせ

田中 なんでもいいんだよ、そんなことは!

伊藤 男性の皇帝ね、いらっしゃいましたとも。けれどそれは皇帝であった方が亡くなられ、そのお子もまだ幼くて、間をつなぐためにその夫が即位しただけの一時しのぎ。後に皇帝の座は彼の娘でもある仙台の皇帝の娘に譲られました。女から女へ、女でつないでいるんですわ。このインペリアルハウスは

田中 だからなんですか

渡辺 だからすごいんですよ。だからえらいんです、皇帝は

田中 大昔のカリスマの血が一滴含まれているというだけで?

伊藤 あなた、どこの犬の子?

田中 は?

伊藤 だから、どこの……ああ、豚の子?

田中 あんたなぁ!

伊藤 皇帝はあなたとは違うんです。あなたとは違うのよ。その血統は保たれている、女でつなぐことによってね

田中 そこに少しでも、男が介在したらいけないのですか

伊藤 それはダメよ。だって男の人より女のほうが確実でしょう?

田中 なにが

伊藤 確実に子どもは自分の子でしょう? 

    盆の上では、タカオとヨシノによって埋葬の式が行われようとしている。 

田中 血の一滴がそんなに大切なのですか。初代皇帝なんて、もう神話の世界に足を突っ込んでいるのに!

伊藤 それが伝統よ

田中 その一滴が本当に伝わっているかもわからないのに?考えてみてください。もし仮に男系なら、男から男に世代をつなげば、確実にY染色体は皇帝のものが伝わるんです。確実にこのDNAは、血の一滴は、つながります。(皆に)わかります?女性はXXで、男はXY。遺伝の話、習いませんでした?男はつながります。男だったらY遺伝子はずっと繋げられるんです。ですけど女性はXXだから、どっちが伝わるかわかったもんじゃないから、血が混じればもう―

伊藤 染色体(笑い出す)

田中 何がおかしいんですか

伊藤 染色体(笑う)。科学を信奉するのもいい加減にしたら?

田中 (山本に)あなた!あなたはどうですか。皇帝の弟をって、そう言ってたでしょう

山本 ヨシノ様は立派な方です。その必要はありません

田中 あんたもひっくり返ったのか

山本 学業と公務を両立できるのなら、私は反対しません。ヨシノ様は十分お役目を果たしていらっしゃる。タカオ様だって

田中 俺は反対です

渡辺 お前はなんなんだ。反対反対って、皇帝制度に反対したいだけなんじゃないのか

高橋 (田中に)もう慣れちまっているんだ。みんな女性にかしずきたいんだよ。踏まれたいんだ、心から。

伊藤 そうよ。男なんてペットボトルのキャップを開けるぐらいしか能がないじゃない。人々の心が女性の皇帝を求めているのよ 

    盆の上。埋葬の式。 

タカオ うるさい

ヨシノ うるさいわ

タカオ 押し寄せてくる、蜘蛛

ヨシノ カサカサ。カサカサって

タカオ 爪の隙間から入り込むわ。蜘蛛が

ヨシノ 体中の毛穴から、蜘蛛が入り込むわ

タカオ わたしの血が蜘蛛になるわ

ヨシノ わたしの肉が蜘蛛になる

タカオ わたしの骨が――

ヨシノ 蜘蛛になる

タカオ わたしはやがて、わたしの形の蜘蛛の塊になる

ヨシノ お婆さまと同じように

タカオ お婆さまは蜘蛛を愛していた

ヨシノ わたしたちは蜘蛛が嫌い 

    佐藤、後方より現れる。 

タカオ 喪服を着るのも、あと数日ですね

ヨシノ 苦労をかけますね、お前

佐藤 いえ

ヨシノ 皇帝陛下もご満足だと思います

タカオ やつれたようですね、お前

佐藤 はい 

    間。 

タカオ 大変ですものね。諸外国が侵攻してきて

ヨシノ 外ではミサイルが飛び交っているんでしたわね

タカオ それに加えて経済圧迫

ヨシノ 極度のインフレーションで、お札の束がメモ帳がわり

タカオ 世界中の氷が溶けて、海面が上昇して

ヨシノ 上昇した分、温暖化とやらで蒸発して、雨雲になって

タカオ 毎日が雨で。異常気象は他にも様々。雹が降ったり、槍が降ったり

ヨシノ 火星人が攻めてきたり

タカオ ブラックホールに飲み込まれたり 

    二人、笑う。 

タカオ 平和ですね

ヨシノ わたしたちのどちらを即位させるかなんて、そんなことにやきもきして

タカオ 本当に平和。そんなどうでもいいことが大問題だなんて

佐藤 胃に穴が開きそうです

ヨシノ で、どっちが皇帝になればよろしいの?

佐藤 ……タカオ様です

タカオ 決まったの?

佐藤 まだです。うるさいんです。あの民の奴らが、迷わすようなことばかり言って

ヨシノ なんて言ってるの?

佐藤 ……

タカオ わからないのよ。わたしたち、国営放送しか見ないでしょう?だから――

佐藤 わかりません。(濁して)入り乱れています。(言い難そうに)連中は、今はタカオ様ではないと、そう考えているようです。しかしそれもいつまでのことか。惑わされてはいけない。迷ってはいけないんです。そうですよね?

ヨシノ 佐藤さん

佐藤 ヨシノ様

ヨシノ わたしがどこかの学校の2年3組にいたらさぞもてなかったでしょうね

佐藤 もう戯言はやめてください

ヨシノ でもわたしが所属するクラスは2年3組ではないんです

佐藤 存じておりますよ。ヨシノ様がいらっしゃるのは最上級のクラスですとも

ヨシノ だから、だからね、わたしもてるんですよ。この顔がお婆様に似ているから、もてるんです

タカオ ……わたしたちは血を継いでいますからね

ヨシノ そうです

タカオ それで、敬う人もいますからね

ヨシノ そうらしいんです

タカオ 仕方ないんですよ、いいひと

佐藤 (ヨシノに)皇帝になろうとお考えですか

ヨシノ だから、それを決めるのはわたしたちじゃないわ 

    タカオとヨシノ、天井を指している。 

佐藤 失礼ながら、私は無神論者です 

    佐藤、天井を見る。 

佐藤 それにここは、蜘蛛の巣だらけだ 

    佐藤、退出する。

タカオ 放っておきなさい。どんな声もやがて小さくなる

ヨシノ わたしたちは皇帝となるわ。祖母から道を譲り受け、さらに歴史の先へ先へ、道を引くわ

タカオ 道を引くとき、たくさんの声を轢くわ

ヨシノ 大丈夫。うめき声もそのうち消えるわ

タカオ そうやって生きてきたんだもの

ヨシノ それが我が家の芸だもの

タカオ 力強く道を引くわ。生きるためには進み続けなければいけない

ヨシノ 立ち止まれば、皇帝は続かない 

    盆の下。佐藤に鈴木がお茶を出す。斉藤も仕事をしている。 

鈴木 困ってるんです

佐藤 あのお二方は、状況をわかってない

鈴木 話、聞いてもらえませんか

佐藤 いつまで遊び続けているつもりだ。阿呆でもないくせに

鈴木 ねえ、友だちが遊びに来てるの

佐藤 たかが相続問題だ。それにどうして私の進退がかかってくるんだ

鈴木 小林っていうんだけど。本当は居座ってるの。彼氏が出て行っちゃったらしくって。二人で住んでた部屋戻りたくないって

佐藤 タカちゃんもタカちゃんだ!私がやりたかったのはもっと崇高な、もっと精神的な皇帝の復権だ。それなのに――

鈴木 出て行って欲しいの。あの子がいると、不安になるの。疫病神みたいに見えるの。わたしの部屋にいないで欲しいの。そう思ってるの

佐藤 みんなダメだ。まるでなっちゃいない。目を離すと、何が起こるかわからない

鈴木 いつ奥さんと別れてくれるの

佐藤 (ようやく鈴木の話が聞こえて)え

鈴木 嘘。思ってないから。……わかりやすい話しか、耳に入らないみたいね 

    鈴木、去る。斉藤、黙々と仕事をこなしている。 

佐藤 聞いてましたね

斉藤 聞こえてました

佐藤 一応、口外はしないでください

斉藤 鈴木さんは最近遅刻が多いです

佐藤 注意しておきます

斉藤 お願いします(仕事に戻る)

佐藤 ……皇帝は、どちらがいいでしょうね

斉藤 私が決めることではありません

佐藤 誰が決めるんですか。まさか神様?

斉藤 それも一つの方法ですね

佐藤 参加してください。私はもう無理なんですよ。パンクしそうだ

斉藤 私には何もできません

佐藤 それでいいと思っているんですか

斉藤 時間を計るほかに、私にできることがありますか

佐藤 言ってくださればいいんです。タカオ様のいいところ、ヨシノ様のいいところ、後押ししてくれればいいんですよ。……あるいはどちらかの悪いところを、教えてくれればいいんです。教えてください。どちらが時間を守らないんですか

斉藤 考えているんです。最もよい方法、すべてがうまくいく道、たった一つの冴えたやり方を。だけど考えているうちにどんどん時間がたってしまって。そう、皇帝が死んで、皇帝は死んだんですか?

佐藤 (今更の問いに驚きながら)亡くなられました、斉藤さん

斉藤 まだわからないんです。死んだ?本当に?あの方が?

佐藤 我々は、次期皇帝を決めなければならない

斉藤 待ってください。受け止め切れてない。認識に時間がかかるんです。暗殺じゃないの?処理しきれないわ。問題が大きすぎる。喪失が、大きくて

佐藤 皇帝は、もう焼かれた!

斉藤 知っています。わたし、その場所にいましたもの

佐藤 斉藤さん!我々は先に進まなければならないんです!

斉藤 待って。待ってください。時間よ、止まって。わたしまだ泣いてないんです。感情が湧き上がる前に、わたし忙しくてやることがあって、その前に時間が経ってしまって…… 

    盆の上。タカオ、蜘蛛を見つける。 

タカオ 見ない顔ね 

      タカオ、蜘蛛を捕まえる。 

タカオ よく嗅ぎつけてくるものね 

    タカオ、蜘蛛に話しかける 

タカオ 生きていたい?そう……。そうなの。じゃあお前も入れてあげる。爪の間から入れるでしょう?お仲間もたくさんいるわ。この中では喧嘩しても恋をしても自由よ。巣を張るといいわ。つがいになるがいいわ。子どもをたくさん産んで、家族を作ってもいいし、お腹がすいたらその子どもを食ってしまってもいいのよ。これからもたくさん入ってくるわ。……着ぐるみみたいなものよ。この皮は、着ぐるみ。それでお前たちは綿。綿だって(笑う)。馬鹿みたい。馬鹿に?してるわ。怒ったら中から噛みなさい、この皮を。三年、スーパーマーケットを楽しんだんだもの。……愛してあげる、お婆様みたいに 

    泣きつかれた小林がタカオに話しかける。 

小林 皇帝になるのかい

タカオ だれ?

小林 お前の母親

タカオ ……皇帝になる。私は、皇帝に 

    どこからか中村がタカオに話しかける。 

中村 皇帝になるのかい

タカオ だれ

中村 お前の父親

タカオ なるわ。偉大な皇帝になる 

    渡辺がタカオに話しかける。 

渡辺 皇帝になるのかい

タカオ だれ

渡辺 お前の叔父だよ

タカオ なります。皇帝になる 

    山本がタカオに話しかける。 

山本 皇帝になるのかい

タカオ だれ

山本 お前の叔母だよ

タカオ なります。皇帝になる 

    高橋がタカオに話しかける。 

高橋 皇帝になるのかい

タカオ だれ

高橋 お前の息子

タカオ なるわ 

    伊藤がタカオに話しかける。 

伊藤 皇帝になるのかい

タカオ だれ

伊藤 お前の娘

タカオ なるわ 

    加藤がタカオに話しかける。 

加藤 皇帝になるのかい

タカオ だれ

加藤 お前の孫だ

タカオ なる 

    ヨシノがタカオに話しかける。 

ヨシノ 皇帝になるのかい

タカオ ……

ヨシノ 皇帝になるのかい、タカオ

タカオ ……なります 

    ヨシノはタカオの祖母のようである。他の幻影は消える。

      タカオとヨシノ、二人で向かい合う。 

タカオ ヨシノ、わたしが皇帝になる

ヨシノ タカオ、お前が皇帝になる

タカオ 皇帝となって、わたしはお前の君となる

ヨシノ そしてこの国の君となる 

    カメラのフラッシュと、シャッターの音。 

佐藤 タカオ様はお心優しく、皇帝に相応しいお方です。それにもちろん、皇位継承順位から考えましても一番目にいらっしゃるのはタカオ様ですし、当然のことではないかと 

    盆の上。 

ヨシノ おめでとうございます。タカオ様

タカオ おそれいります。ヨシノさま 

    佐藤にマイクを向ける人々。 

山本 市井の声をどうお考えなのですか

佐藤 皆さん、お喜びになるのではないでしょうか

田中 タカオ様の噂に関しては

佐藤 噂とはなんですか? 

    盆の上。 

ヨシノ お前

タカオ お前

ヨシノ お前

タカオ お前 

    盆の下。佐藤の弁解。 

佐藤 私は存じませんね。国営放送しか見ないんです 

    盆の上。 

タカオ お前は、これからどうするの

ヨシノ 独りになるわ

タカオ 独りになって、どうするの

ヨシノ 一人称のありかを探るわ 

    盆の下。佐藤への反論。あるいは自分の主張。 

山本 不勉強だとは思わないんですか。あなた方のそういう姿勢が、人民と政治の間に壁を作っているんですよ

田中 本当のことを言ってください

加藤 不義の子だ

高橋 タカオ様の方が美人だ

山本 お二人のお母さまは今どこにいらっしゃるんですか

伊藤 血を絶やさないように、速やかに結婚相手の選出を

加藤 皇帝陛下

斉藤 時間がありません

小林 どうして、出て行っちゃったの

渡辺 あんな噂なんてもう信じてませんよ

小林 あたしを、捨てたの? 

    盆の上。 

タカオ わたし

ヨシノ わたくし

タカオ じぶん

ヨシノ みずから

タカオ おのれ

ヨシノ われ

タカオ おれ

ヨシノ ぼく

タカオ ……僕は、やめて 

    佐藤、宣言か独り言かつかない言葉を吐いている。 

佐藤 次期皇帝はタカオ様です。ええ。もう決まりました。決めたんです

高橋 サトちゃん。俺はよかったと思うよ。やっぱりタカオ様とヨシノ様じゃ、スペックがちがうっていうかね。人間としての価値がちがうよ。で、皇帝即位の衣装さ、あれ今までのじゃちょっとまずいんじゃないかなー。堅苦しいよ、あれじゃ。一般公募とかでさ、可愛いヤツ決めて――

佐藤 私の前でそういう馬鹿げたことをしゃべるな! 

      荒れている鈴木。気力が戻ったような小林。 

鈴木 仕事……

小林 すーさん、あたし思い出したの

鈴木 めんどくさ……

小林 あたしね、あの人じゃなきゃいけないってことなかったの。別にすごい特別ってわけじゃなくてね。そりゃあ顔は好きだった。すてきだった。今も好き。だけど――

鈴木 ね、なんか作って

小林 何度かケンカをしたのね。すごいむかつくこと言われて、ぐさっときたの。何言われたか忘れちゃったんだけど、今までに経験したことのないぐさっで。すごいぐさっで、それがよかったんだと思うんだ。心臓ぐさっでついでに惚れちゃったんだと思う。ねえ、あたしやっぱりMなのかな

鈴木 ……目玉焼き。黄身半熟で

小林 あたし炒り卵しか作れないよ

鈴木 そんなんだから捨てられんのよ

小林 (明るく)そうかもー 

    田中がピストルを手にして立っている。 

    盆の下。斉藤が佐藤の行く手を阻んでいる。 

斉藤 タカオ様とはご面会は出来ません

佐藤 斉藤さん、元気になられたんですね。よかった

斉藤 ご面会は出来ません。戴冠式までの間、タカオ様はお水以外の一切を絶ち、どなたともお会いにならず、行をお勤めになるのですから

佐藤 ああ、そんなのもありましたね 

    盆の上にヨシノが現れる。 

ヨシノ 行という名目で、守っているんですわ、タカオ様を

佐藤 ヨシノ様

ヨシノ ごきげんよう。佐藤さん 

    斉藤、下がる。 

佐藤 残念だと思われますか

ヨシノ お前の目にはどう見えるの

佐藤 ヨシノ様を皇帝にという声もありました。しかしタカオ様がどちらが皇帝でもいいと言うとき、ヨシノ様は自分から身を引くようなことはおっしゃらなかった

ヨシノ それで、わたしが皇位を狙っている、野心的である、少なくとも皇帝となるのに嫌な気はしていない、お前はそう考えた

佐藤 どうお取りになっても結構です

ヨシノ わたしを皇位から遠ざけた。それはお前、なんのため?

佐藤 人々は皇帝を思い出しました。どんな形であろうと思い出しました。あとはその皇帝を大事にお付き合いを続けていく、それがわたしの仕事です

ヨシノ タカオ様の方が御しやすいと思ったの

佐藤 ヨシノ様。いくらなんでもお言葉がすぎます

ヨシノ ……そうね。お前はお婆さまの信奉者だった

佐藤 私はタカオ様を、皇帝陛下のような方になっていただきたいと、そう考えているのです

ヨシノ そうして死ねと?陛下のように

佐藤 ヨシノ様!あれは事故です。あのようなことは二度と起こらないように、我々は力を尽くします

ヨシノ 我々

佐藤 我々、皇帝陛下にお仕えするものたちは、です

ヨシノ お婆さまは、わたしたちよりご自身の方が可愛らしくなったんだわ

佐藤 は?

ヨシノ 可能性の一つよ。飛行機事故だなんて。わたしたちが可愛かったらやらないはずだわ 

    ヨシノ、佐藤を見つめ、託宣のように語りだす。 

ヨシノ いいひと。お前がすることのほとんどは無意味ですが、それでもしなくてはなりません。お前が世界を変えるためではなく、世界によってお前が変えられないようにするために

佐藤 ……それはあなたのお考えですか、ヨシノ様

ヨシノ 私のオリジナルじゃありません

佐藤 では、陛下の?

ヨシノ いえ。ガンジーの

佐藤 ガンジー?

ヨシノ マハトマ・ガンジーの言葉です

佐藤 しかし、あなたはそうお考えなのですね、ヨシノ様

ヨシノ ……

佐藤 タカオ様も。タカオ様もですね?

ヨシノ さあ。タカオ様のお考えなんて、わたしにはとてもとても……

佐藤 我々がすることのほとんどは無意味だが、それでもやらなければならない

ヨシノ それによって世界を変えるためではなく、世界によってわたしたちが変えられないために

佐藤 申し訳ありません。私は、勘違いをしていました。謝らなければなりません。申し訳ありません。世界は遠慮なくお二人を変えます 

    盆の下。田中、何かを拾う。 

田中 蜘蛛 

    田中、蜘蛛を握りつぶす。 

    伊藤と山本。 

伊藤 タカオ様のお相手はどんな男性がいいかしらね。もちろん顔、身体、頭、性格、家柄。それでいてセクシーで、野心家で。羊のような男じゃつまらないもの

山本 まずは学業です。もちろん国語、数学、理科、社会

伊藤 あなた、それ本気で言ってる?

山本 私たちが胸をはれる、どこにだしても恥ずかしくない、そんな皇帝になっていただかないと

伊藤 そんなだっさい皇帝、私、恥ずかしいけど 

    渡辺。 

渡辺 皇帝を、愛します 

    派手なファンファーレの音。盆の上に正装のタカオが現れる。

    人々のため息。 

斉藤 あの方が、皇帝 

    盆の上。佐藤とヨシノ。 

佐藤 なるべく遠くへ行ってほしいんです

ヨシノ 言われるまでもないわ

佐藤 皇帝の座を脅かす人物が、すぐ近くにいる。それは危険なことなんです

ヨシノ 言っているでしょう、佐藤さん。言われるまでもない 

    盆の下。高橋と占い師のような加藤。 

高橋 確かなんですか

加藤 確かだね

高橋 そんな、今あんなに美しいタカオ様が

加藤 身長は後30センチ伸びる。二十歳を迎える前に白髪が混じる。肉はつかず、頬はこけ、ぎすぎすと痩せた醜女(しこめ)になるよ。何より顎がこう、刃物のようにね

高橋 出るんですか

加藤 出るね

高橋 なんていうことだ。こうしてはいられない

加藤 どこへ行くんだい 

    高橋、走り去る。 

#21

    盆の上。タカオとヨシノ、それぞれ盆の端と端にいる。 

タカオ 蜘蛛が這う。爪の隙間から入り込む。蜘蛛はわたしの血や肉になる。わたしは消えていなくなる

ヨシノ お前は君になる。この国で唯一の君になる。わたしにも可能性があったけれど、選ばれたのはお前、タカオ。……わたしもここにはいられない。わたしはお前から離れる。離れてお前の彼方になる。彼方でわたしは、君の彼方(あなた)になる 

    タカオ、人々の前へと進む。バルコニーで挨拶するように。

タカオ お前

ヨシノ お前 

#22

    人々の声。 

鈴木 どうしてこんなことになっちゃったんだろ

渡辺 命を賭けて、タカオ様を守ります

高橋 ダメだ!ストップ!ちょっと待ってくれ!だれか!

田中 俺にだってやれることがある

鈴木 どうでもいいのよ。皇帝がなによ

伊藤 タカオ様は真にすぐれた皇帝となるわ

加藤 災いだ。災いが起こる

鈴木 私ただ、だってあの人、愛してるって 

    盆の上。 

ヨシノ ちがう私になるわ 

    盆の下。 

佐藤 タカオ様を愛する敬虔な国民を作る。タカオ様にも精一杯国民を愛していただく。人々はタカオ様のためによい人間であろうとするだろう。愚かな民衆に、心を与える。それが私の使命だ

斉藤 いまわかりました。皇帝は死んだ

渡辺 僕は幼い頃いじめられっこでした。むちゃむちゃ強くなれば、みんなをミートボールにできると思って、柔道と剣道と合気道を始めました。それでもいじめられっこでした。僕は一人でした

山本 資質ではヨシノ様の方が上でしょう。まったく

渡辺 いくらいじめっ子を半殺しにしても、誰も目を合わせてくれなくなったなら、いじめられてるのとおんなじだ。僕はあの時辛かった。辛かった

斉藤 皇帝は死んだ!

小林 あの人はたぶん帰ってこない

鈴木 おかあさーん!! 

    盆の上。 

タカオ わたしの分も 

    盆の下。 

渡辺 道場のすすめで、この職につきました。今ここにはタカオ様がいます。僕の仕事はタカオ様を守ることです。この国の皇帝を、です。高揚するものがあります。僕はもう寂しくない。変な噂なんかに、もう惑わされることはないでしょう。これからはタカオ様を心の支えに――

高橋 とち狂うな!しょせん皇帝だ。かわいいなんてあるはずなかったんだ 

    盆の上。 

ヨシノ スーパーマーケットに行くわ 

    盆の下。 

小林 あたしは待ち続ける。おばさんになっても、おばーちゃんになっても、周りの友達がみんな死んでも。だってあたし、あの人のこと本当に好きだった!

中村 (帰還)よお 

    盆の上。戴冠。 

タカオ 蜘蛛を、殺して 

#23

      銃声。

      佐藤が倒れる。

      人々の目線の先に、銃を手にした田中がいる。

      鈴木の悲鳴。

      田中、渡辺に取り押さえられる。

      高橋が笑う。

    タカオとヨシノ、高橋を見る。タカオの頭から冠が落ちる。 

タカオ・ヨシノ お前が、新しいいいひと? 

    余韻なく暗転。 

      

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